ボストンの歩き方

2016年MIT入学の学部二年の日記帳

外向的と内向的

とある心理学の授業にて。

その日はパーソナリティーがテーマの回でした。そこで紹介されたのはBig Fiveというパーソナリティー診断でした。50個ほどの質問に答えてそれをもとにOpeness、Conscientiousness、Extraversion、Agreeableness、Neuroticismの5つの項目に関して評価するというものです。パーソナリティー診断のなかでは最も再現性が高く、さまざまなこととの相関がみられるらしいのですが、そこで気になったのがextraversionという項目です。extrovert、introvertとは日本語では外向的、内向的と訳される言葉で、どうやらextrovertは朝にコーヒーを飲むとテストの点数が上がる等の相関がみられているそうです。(逆にintrovertは午後にコーヒーを飲むのがいいらしいです)

 

このような謎の相関もトリビアとしては面白かったのですが、それよりも気になったのはこれらの言葉の含意するところです。僕は日本にいたとき、正直外向的、内向的なんていう言葉を使ったことはありません。日本で対応する言葉を考えた場合、明るい―暗い、今風にいうなれば陽キャ陰キャといったところでしょうか。しかしこれらの言葉はすべて善―悪という完全な対比になっているように思えます。明るい人は暗い人に比べて優れている印象を与えるような表現になっているわけです。

これに対して、同じようにアメリカで使われているextrovert-introvertにはこのネガティビティがありません。(あったとしても日本と比べてとても少ないでしょう) どちらの方がいいという評価軸は存在せず、ただただextrovertは他人といることでエネルギーをもらう人、introvertは一人でいることでエネルギーを補給できる人、のような感覚で使われています。例えば僕の友人でとても明るくいつでもおしゃべりをしているようなやつでも、「誰とも話さず一人でゆっくりする時間がないとやっていけないから自分はintrovertだ」と言っていたりします。

 

このように考えると日本でいう明るいー暗いとは全く別次元の評価軸であることは明確ですが、使用頻度や、使われ方をみるとこれらの評価軸が対応していることもまた明らかです。このようにアメリカでは社交性の基準としてよく使われる軸が良し悪しを取り除いてあくまで客観的な評価になっているのはなかなかにアメリカらしいなあと思った今日この頃です。

 

ではでは、