ボストンの歩き方

2016年MIT入学の学部二年の日記帳

世界遺産101: 世界遺産概論

さてさて、めちゃくちゃ久しぶりの世界遺産の話題。というかこのブログでちゃんと世界遺産について書くのは初めてのことかもしれません。しかし、世界遺産大好きで自称世界遺産検定1級相当を自負している以上、今年の世界遺産委員会について触れないわけにはいかないのです。

 

1. 世界遺産になるまで

今年の世界遺産委員会は6/24から7/4までの間、バーレーンの首都マナーマで開催されました。この委員会は年に一回どこかの国で開かれ、その年新しく世界遺産リストに追加される遺産が決定されます。ここで、世界遺産決定までの流れを軽くまとめておきます。

まず世界遺産条約を締結している国は自国内で世界遺産になりうる遺産を暫定リストとして申請します。そしてそのリストから、本審査の準備が整った遺産を毎年2遺産まで世界遺産委員会に提出することができます。ただし、2遺産といっても文化遺産、自然遺産それぞれ1遺産ずつまでというルールが最近できました。これは世界遺産保有国の偏りや文化遺産偏重を補正するためだと思われます。

申請遺産は世界遺産委員会の開かれる半年ほど前に現地調査が行われます。自然遺産はIUCN、文化遺産はICOMOSというプロ集団によって調査が行われるわけです。そして彼らはその調査結果をもとに登録勧告、情報照会、登録延期、不登録の4段階評価を下します。といってもこれが最終決定ではありません。この諮問機関の評価を基に、実際の世界遺産委員会で最終的な4段階評価が下されるからです。なんで二回も審査があるんだと思われますが、一回目が完全に専門家らによる審査であるのに対し、本審査は結構政治的な決断が多いです。そのため、ロビイングなどによって一次の決定が本審査で覆るということが特に近年目立ち、問題になっています。もっとも劇的な例でいえば2014年、不登録勧告から一転して登録された「オリーブとワインの地パレスチナ - エルサレム地方南部バティールの文化的景観 」があります。

そして、当たり前ですが、この本審査で登録という評価が出た遺産が晴れて世界遺産リストの仲間入りとなります。

 

2. そもそも世界遺産とは

ここまで登録だの、不登録だのと言ってきましたが、そもそも世界遺産に選ばれる基準とは何なのでしょうか。これは一言で言ってしまえば「顕著な普遍的な価値」です。世界遺産は国の重要文化財や国宝と違い、世界全体で守るべき遺産なわけです。これは1960年代、当時のエジプト大統領であるナセルがアスワン・ハイ・ダムを建設するにあたり、アブシンベル神殿などで知られるヌビアの遺跡群が取り壊されることに端を発します。ナセル大統領がユネスコにアブシンベル神殿救済を要請し、当時のフランスの文化大臣アンドレ・マルローが支援金を集めるため提唱した概念がこの「顕著な普遍的な価値」なのです。これにより、遺産を遺産保有国だけでなく、世界全体で守っていこうという概念が明確化されたのです。

といってもこの「顕著な普遍的価値」という言葉は、基準にするにはあまりにも曖昧です。そのため、この言葉を具体化するために「世界遺産条約履行のための作業指針」が制定された。この中には登録基準が1から10まで明記されており、この基準のどれか一つに当てはまれば世界遺産としての価値を持つということになるのである。ちなみに、1から6に該当する遺産は文化遺産、7から10に該当する遺産は自然遺産、両者にまたがる遺産は複合遺産と分類されます。

具体的にこれらの登録基準を見ていきましょう。例えば登録基準1は「人類の創造的資質の傑作」と評されます。シドニーのオペラハウスのように他に類を見ないような芸術性、美しさを誇る遺産が登録されます。これに対応するのが登録基準の7、「自然美」のように思えます。これは屋久島などのように、世界でそこでしか見られないような景観に対して与えられます。

 

3. 登録基準6

ここで面白いことに気が付くと思います。登録基準は文化遺産にあてはまる基準で、「 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの」というなんやら難しい説明があるのですが、よく見ると、この基準は他の登録基準との併用が望ましいと記載されています。つまり。登録基準6だけで遺産を登録するのは望ましくくないということになります。なんでこの登録基準にだけこのようなルールがあるのでしょうか。実はこれには日本が深く関わっています。

明日はこの登録基準6について詳しくみていき、今年の世界遺産委員会との関わりまで考察できたらと思います。

ではでは