ボストンの歩き方

2016年MIT入学の学部二年の日記帳

フェアなプレイとは?

 

ワールドカップの一次リークがついに終わりましたね。ハラハラドキドキの中、日本が決勝トーナメントにできたのはマジでうれしいです。サッカーは国際試合だけ見る勢ですが、やっぱ国の威信をかけた大会ってナショナリズムをいい感じに煽ってくれてとても好きです。

 

ただ決勝トーナメントへの進み方に関して賛否両論があるのも事実です。日本がポーランド戦の最後は負けていながら守りに徹し、結果フェアプレーポイントでセネガルに勝った事に関し日本チームのプレーに批判が噴出している模様です。実際後味がいい終わり方かと言えば全くそうではないなということには同意します。しかしそのうえで、日本チームを批判するのはお門違いな気がするわけです。

 

普通のサッカーの試合の場合を考えます。その場合、例えば一点リードしているチームがゲーム終盤で守りに徹するというのは普通に見られることです。焦って攻撃をしてカウンターで一点を献上するのが最悪の事態である以上、たとえば低い位置でボールを回したり、ボールが切れたときにスローインやキックインにいつもより時間をかけたりするのは戦術のように思います。焦って攻撃して同点にされた場合に時間の使い方が下手だと批判されることがあっても、このようにゲームを落ち着かせるプレイにせこいと批判する人はほとんどいないでしょう。もちろん過度の遅延行為はスポーツマンシップにかけると言われるのはわかりますが、これに関してはイエローカードがでるわけで、試合の中で行為に対してのペナルティが設けられています。

 

今回の場合で違うのは、日本はリードしていたわけではなく、むしろ負けていたということです。つまり負けを受け入れての遅延行為を行ったことに批判がなされているように思います。ワールドカップなのにこんなゲーム運びはあり得ないと憤慨している人もいます。しかし、僕はこれがワールドカップだからこそあり得るプレーのように思います。レギュラーシーズン等の普通の試合において、選手たちの目標は試合に勝つことです。ワールドカップにおいてこれに対応するのはあくまで(一次リーグ中は)一次リーグ突破です。試合に勝つということはそれを達成するための手段であって目的と混同するのはノンセンスだと思います。もちろん一試合一試合に集中するのは大事ですが、それに集中しすぎて大きな枠を見失ってはそれこそ木を見て森を見ずです。このように見た場合、一次リーグ突破という目標においては、セネガルがコロンビアに押されていた時点では日本は勝っていたことになります。ですから日本のプレーがサッカーで普通に見られる行為とかけはなれているということは言えないように思います。

 

これに対して、目標を一次リーグ突破と設定すること自体がおかしいと思う人がいるかもしれません。目標は一次リーグの一位突破であり、その点においては負けていたということです。しかしコロンビアが勝っていた状況からかんがみて日本が一次リーグを突破するには残り数分で少なくとも2点取る必要がありました。終盤ポーランドに押されている状況からそのような攻撃戦略をとるのはあまりにも試合状況を理解していないとしか言えず、また次に対戦するのがイギリスかベルギーという絶好調チームのいずれかだともともとわかっていたわけですから一位にこだわるゲインはリスクに比べてとても小さいものです。

 

もちろんここではフェアプレーポイントの是非等のメタ的議論はしていないのでルール自体がおかしいなどの批判は本旨からずれます。つまりは与えらえれたルールの中で戦っている以上、ワールドカップという特殊環境下においては日本のプレーは批判されるべきでないと思うのです。

 

ではでは