ボストンの歩き方

2016年MIT入学の学部二年の日記帳

世界遺産101: 戦争遺産と政治性

さて、世界遺産特集第一弾の最終回、ということで今月上旬までバーレーンで開かれた第42回世界遺産委員会について。今回の世界遺産委員会と言えば日本で22個目の世界遺産である長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産が登録されたことが話題になっていると思います。結果としては全体で新しく文化遺産13件、自然遺産3件、複合遺産3件の計19件が登録となったわけですが、それにしても複合遺産3件というのは多いですね。複合遺産は全部合わせて計38件しかありませんから。僕的には日本にも複合遺産があったらいいなあと思うわけですが、現実的には候補がないというのは実情でしょう。

 

そんな中が僕が注目したのは本会議というよりも、その前に世界遺産申請された遺産です。実は今回本会議、さらに遡って諮問機関が勧告を出す前に審議を辞退した遺産が二つあります。ドイツのHamburg-Altona とフランス・ベルギー共同推薦のFuneral and memorial sites of the First World War (Western Front) 。一つ目はハンブルグ・アルトナに存在する17世紀から19世紀まで運営していたユダヤ人墓地でスリナムと共同推薦する動きがあったものの、うまく連携が取れず、オランダやカリブ諸国と連携して再挑戦するようです。二つ目は第一次世界大戦(西部戦線)の追悼と追憶の場というやたらかっこいい名前がついているのですが、残念ながら審議の場に登場することはありませんでした。これは前回述べた負の遺産、戦争遺産の概念が関わってきます。この第一次世界大戦に関する遺産群はいわば比較的最近の戦争に関する者であり、兵士たちの墓地が構成資産に含まれている関係で高度に政治的なものとなっています。このため、世界遺産登録決議がこれからの近代戦争遺産の扱い方の判例となるとして注目を浴びていたわけです。しかし諮問機関のICOMOSが勧告を出す前に「近代戦争への審議にはもっと時間をおくべき」という声明を出したことで申請が見送られたものと思われます。

 

今回は議論が見送られたものの、いずれはこのような政治的決断を迫られることに違いはないでしょう。このとき大事になってくるのが世界遺産があくまで中立的なものである、ということではないでしょうか。近年でいえば、パレスチナが申請した遺産が世界遺産となったことで事実上UNESCOがパレスチナを国として認めたこととなり、現在アメリカはユネスコを脱退しています。かつてはこのような政治判断を避けるため、たとえばエルサレムの歴史地区はヨルダンの代理申請という形で世界遺産になっています。

 

顕著な普遍的価値を認めつつ、世界遺産を政治判断の場として使わないということが重要になってくるのではと思います。

 

ではこのシリーズはいったんこの辺で